昨日の記事「lily」を投稿した後で「内容がアレじゃ記事引用元の方はさぞ当惑されるだろうな」と案じていたところ,虚人ねこさんから大変真摯なコメントとトラックバックをいただいてしまいました.ここは,居住まいを正してもう一度きちんと考えてみたい.
「(あまり必要ないのに)どうしてSEX描写(というか性器描写)を入れるのか?」
「SEX描写を入れなかったらどうなるのか」
「SEX描写とはなんなのか」
これはエロゲそのものの存在意義を問うと同時に,エロゲのゲームデザイナからユーザを含むその関係者に対して厳しいご指摘だと思います.一ユーザの私も,エロゲの性描写は存在するのが当然のものとして無批判に受け入れていますから(というか,そーゆーのを期待して皆買っているんだよなあ)
上の問いかけからピントがズレているなと自覚しつつ間抜けな回答をすれば,性描写を盛り込んでそれを売りにしている創作物がエロゲと呼ばれる代物であって,理由があるから性描写が存在するのではなく,性描写の存在はエロゲの定義そのものになっているのだと思います.
この定義を逆手にとって「性描写」という餌を仕込んでおけば,クリエイターは他の一般商業作品に比べて好き勝手やれる,表現の自由度があるように思います.そこに,毎月洪水にように送り出されるタイトルの中から,わずかではありますが百合,というかレズ描写の要素を含む作品が生み出される余地があるのかな,と.単純に男性向けエロを売るということだけ考えれば,百合・レズは大多数のユーザの反応を考えるとネガティブな要素だと思いますから.
ここで「あれ」と思うのは,百合とSEXまで描写したレズ作品との関係です.百合のコミュニティでどんなコンセンサスが得られているのか私は寡聞にして知りません.百合とレズは本質的に同じものかもしれないし,全然違うものかもしれない.私はジャンルの定義や作品の細かい分類の議論は(めんどくさいので)大嫌いなんだけど,それでも百合とレズをごちゃ混ぜにして話をするのは,かなりラフだと感じます.
「場合によっては性描写までをも含む,女性同士の恋愛を描いた作品」これをレズ作品だとすれば,百合作品とは「女性同士のプラトニックなレベルでの”触れ合い”を描いた作品」になるのかな,と私は勝手に想像しています.
実は先の投稿をした後で,「アトラク=ナクア」と「僕と僕らの夏」を百合と断じた書き方をして若干の違和感を感じていました.「あれって,男女のそれが霞むぐらいの濃厚な女同士のSEX描写があるんだから,百合というよりレズ作品と言った方が適切なんじゃないの」.でも,この両作品にレズ作品というラベルをべったり貼られることに,私の一方の内なる声は反論するのです.「うまく言えないんだけど,そういう決め付け方は,何かちょっと違う気がする」
これはどういうことなんだろう?
もし,プラトニックな百合作品と性描写まで含むレズ作品との間に「しきい値」が存在するのだとすれば,きっとそれは評価する人によって値の変動幅があるんじゃないだろうか.
世間で百合作品ということで高く評価されていて私自身も大好きな「マリア様がみてる」を持ち出して,先の二作品との共通部分を見つけてくくり出してみれば,私なりの「しきい値」が見出せるのではないだろうか.その思い付きの過程が先に投稿した記事の内容であり,得られた暫定的な答えが「男性である自分を完全に阻害する世界を構築できているか」だったのでした.
そこに美しい花が咲いていて,それは決して私の手の届かない川の向こう岸に咲いている花ならば,それが私にとっての百合なのだと.虚人ねこさんは先の私の投稿に
「百合」は距離感が違うんだと思います。
どちらかと言うと「眺める」ものじゃないでしょうか。
それが「疎外感」に思えるのかもしれませんね。
と簡潔にして要を得たコメントをして下さいましたが,私はそのような思いを得るのに先や今回の投稿記事のようなぐちゃぐちゃとした過程を経る必要があった,ということです.
こういうことを考えたことありますか?(あっ、挑発ではないですよ)
上のような話で,多少とも回答になりましたでしょうか.
ズレた回答になっていたら,申し訳ない.
…とはいうものの,百合と言い切ってしまうには性描写の存在は私としてもやっぱりやっかいな感じを持っていて,今以上のお答えをするには私自身もう少し百合作品・レズ作品の場数を踏む必要があるような気がします.
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